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武四郎の蝦夷地探査

ロシアの南下政策を知り、28歳から40歳まで、6度に渡り蝦夷地を調査した武四郎。

探索の記録を事細かに描き記したため、北海道にはゆかりの地に数多くの石碑が建てられています。

6度目の探索ルート

調査ルートはその都度で異なります。例えば、安政5年(1858)、6度目の探索では、渡島半島部分を除くほぼ全ての海岸線と、十勝、道東、日高地域を調査しています。この時の記録はのちに『久摺日誌』などの名前で出版されました。

1度目~5度目の探索ルート

蝦夷地探索の集大成

 そうして海岸線から内陸までをくまなく調査した武四郎は、その集大成として、「東西蝦夷山川地理取調図」という地図を安政6年(1859)に発行しました。

 26枚の切り図と余白部分の24枚の計50枚を張り合わせて1組とした、縦2・4メートル横3・6メートルの大地図です。川が血管のように張り巡らされ、多くのアイヌ地名がびっしりと記されています。山は起伏を線で表す「ケバ法」で描かれているのが特徴です。

 海岸線だけは、伊能忠敬(1745-1818)や間宮林蔵(1780-1844)によって正確なものが作られていましたが、内陸部の状況を詳しく図示したのは武四郎が初めてでした。

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